【幼稚園や、小学校でよく行われる、「廃材を使った工作」って、何のためにあるの?】
良く、学校や幼稚園から、「今度廃材を使った工作を行います。ご家庭から、牛乳パックや、ペットボトルのキャップ、カップ麺の器など工作に使えそうなものを持ってきてください」などと、お知らせて届くと思います。
そもそも、この「廃材を使った工作」って、何のためにあるのでしょうか?
ホームセンターに行けば、工作キットは売ってあります。
ネットや100円ショップでも、工作の作り方の紹介をされています。
一体いつから「廃材を使った工作」は始まったのでしょうか?
先日、ある講座で話しを聞いたのでまとめてみました。
元々は美術教育の中に「廃材工作」は存在しなかった?
日本の美術教育(図工教育)の過去を見てみると、「絵は本物みたいに描くもの」「美術は美しくなければならないの」として、教育されてきました。
絵の描き方や、色の塗り方。
本物そっくりに描ける子が優れているとされ、苦手な子は、大人になるまでに「絵が描けない。不得意な分野」が出来上がります。
音楽は、歌が苦手な人も、音程ができない人でも、歌を口ずさんだり、カラオケを楽しんだりして、「音楽は楽しいもの。みんなのもの」と認識され、苦手な人でも個人や、みんなで楽しむことができるのに。不思議なものですね。
絵が苦手ということとは違う感じですね。
現代の美術教育(図工教育)はどんどん変わってきています。
・自由な制作。
・個性を重視した表現。
・作品の完成度よりもそのプロセスを大切にする。
今では曖昧な作品が認められるように教育方針が大きく変わってきています。実は、とても最近なのです。
学校の先生は、その採点基準が難しく、苦労されていると思います。
どんな言葉で褒めてあげる?
自由に、個性を重視した作品を目指す教育をするのであれば、とっくに絵を見て親や、教師が「じょうずね!」とまるでテープの繰り返しのように同じ「ほめ言葉」で子どもの絵を評価しません。
「じょうずね」という言葉はとても危ないほめ言葉
「じょうずね」という言葉を、〇〇の一つ覚えのように、繰り返し言いつづける教師をたくさん見てきました。
答えがある分野、例えば、
・正しい音階でピアノを弾く
・決まった書き方で習字を書く
・正しく自転車に乗る
など、答えが確実にあり、またお手本通りにできた時に「じょうず!」という言葉が生きてきます。
美術に関しては、「じょうず」という言葉はとても危険な言葉です。
・「じょうずね」と褒められることにより、絵は「じょうず」に描く必要が出てくる。
・「じょうずね」と褒められたことにより、次も褒められなければならない。
・「じょうずね」と褒めた基準が曖昧。教師や大人のレベル、センスによって「じょうず」の基準が違う。
・隣の子が「じょうずね」と褒められているのを聞くうちに、自分が褒められていない事に劣等感を感じています。
この「じょうず」という言葉が絵に対して苦手意識を持たせる、「危険な言葉」なのです。
大人になり、「私は絵が苦手なんです~」という大人や先生ほど、子どもの絵を褒める時に「じょうずね~~~!」の言葉を繰り返し言っている傾向があるようにも感じてしまいます。
みなさんの周りでも自分自身を含めて、そんな大人がいないか探してみてください。結構簡単に見つかりますよ。
では「じょうずね」と褒める以外のほめ言葉は?を知りたくなりますよね。
実は、とても簡単ですが、今回の「廃材工作」とテーマがずれてきていますので、また別の機会に書き込みます。
話を戻して、
そもそも「廃材工作」は何のためにあるの?
この「廃材工作」は今の美術教育(図工教育)でなぜ取り入れられてのか?
「廃材工作」までの歴史
柔軟なゲジュタルトの発見
実は「アンドレブルドン」の「シュールレアリズム宣言」にきっかけがあると言われています。
アンドレブルドンは、フランスの詩人として、有名ですが、シュールレアリズムという言葉を作り、新しい分野を発見した詩人です。
ブルドンは、精神疾患を患った「ナジャ」という女性との交流を通し、現実から離れ幻想と妄想の中で暮らすナジャから、新しい思想を発見しました。
この「シュールレアリズム宣言」に強く賛同した「エルンスト」や「ダリ」はとても有名な画家です。
中でもマックスエルンストは、これまで知られていなかった「自動記述」からヒントを得て
フロッタージュやデカルコマニー、コラージュなどの技法を編み出しました。
これまで考えられなかった「異質なものの組み合わせ」「そのものとは別の使いからから新たな価値を見出す」表現を続けました。
このマックスエルンストが発見した技法は「価値の変換」と言われています。
そのもののあるべき価値から、新しい価値を見つけること。
「柔軟なゲシュタルト」とも言われていますが、わかりやすく「柔軟な思考力」とも言われています。
「ケーラーのチンパンジー」は有名な話です。
大好物のバナナを天井から吊るします。
部屋には、椅子やステッキ、空き箱が散乱しています。
バナナが欲しいチンパンジーは、その部屋にあった椅子、空き箱、ステッキを使い、見事にこのバナナを手にしました。
それぞれの物の本来の使い方と違う用途でそこにある道具を使い、見事に問題を解決したのです。
椅子も空き箱も、ステッキも本来の使い方では、このバナナをゲットすることができませんでした。
このチンパンジーは、新しい価値を見つけ、発見したのです。
脳は知っていることしか、知らない。
また、ある脳科学者が「脳は知っていることは知っている。知らないことは知らない」と言ったそうです。
発明、発見、創造は、知らないものからは生まれません。
知っているものの組み合わせ。異質なものの組み合わせから、世界的な発見や発明、創造は生まれています。
現代の「廃材工作」は、実はシュールレアリズムの活動から生まれていたのです。
ピカソの思考を見てみると
ピカソの作品は、一見よくわからない作品がありますが、ピカソは様々なもの、現象、社会を「多視点」で見て、表現していると言われています。
実は子どもの絵のほとんどはこの「多視点」が原点でもあるのです。
この話題も、話が逸れてしまいますので、また後日書きますね。
このアンドレブルドンのシュールレアリズム宣言から、エルンストの表現方法、さらに心理学からローエンフェルドの芸術による教育、ハーバート・リード、フロイト、ユングの発達心理学、メラニークラインの心理学などを研究し、幼児期の美術教育において、芸術を通しての人間教育、発達に即した教育について研究されました。
現在では、エルンストのデカルコマニーやコラージュから発展し、廃材工作などを取り入れた教育が当たり前の教育になって言ったのです。
「廃材工作」は価値の変換により、新たなものを発見、発明、創造するための表現手段
「廃材工作」は価値の変換により、新たなものを発見、発明、創造するための表現手段なのです。
大人の研究者は新しいものを発明するときは、自分の知っている知識を全て使い、新しい組み合わせから、素晴らしいものを発明します。
脳は知っているものしか知りません。その為、知っていることをフル動員し、様々な角度から組み合わせたり、変化させることに集中します。
子どもは生まれて数年のうちに知り得る情報から、新たな価値を見出し、新しいものを発見するためにこの「廃材工作」を行うのです。科学者や研究者が行っていることを疑似体験しています。
この「廃材工作」が始まった流れ、意味を理解し、実践している教育者がどのくらいいるかはわかりません。
意味を知ることで、子どもの新しい発見について、「じょうず」以外の言葉で、その子の生み出した新しい価値観について、たくさんの言葉を掛けてあげることができるはずです。
「発明、発見している発明家に『じょうずね』と褒めることをしますか?」
私の息子も3歳ぐらいから勝手に廃材工作を始めています。すでに発明家です。
いつの間にか繋げて、貼って、切ってを繰り返し、電車が出来たり、家が出来たり、なんだかわからないものが出来たり。
でもその一つ一つを見せてくれて、話を聴いて欲しい顔で見てきます。
私は、褒めるよりもたくさんの話しを聴くことに徹しています。
聴いたことをリフレインし、本人に返してあげること。
それだけで子どもは自分が作ったことに満足し「見てくれた」、「伝わった」、「認められた」、「また作ろう」と自己肯定感を上げていきます。
決して、作ったもの良し悪しを評価はしません。
全部について、OKの会話をするだけです。
「廃材工作」はとっても素晴らしい課題です。
美術(図工)を通して、自分を表現すること。新しい発見をする楽しさ。試行錯誤をする経験をたくさんもらって欲しいと思います。
投稿日 : 2021年2月13日