『母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない』

『母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない』

心理学者エルナ・フルマンの論文、子育てにおける「親の役割」からの言葉のご紹介です。

なんだか、母としては複雑な気持ちになる言葉でもありますが、
読んでみると私たち美術教室の考え方と共通するものがあると思い、ご紹介させていただきたいと思います。

 

【子どもの頃、親からの「助言」は、ありがたかったですか?それとも・・・?】

私は子どもの頃はどちらかというと、「親の言葉は正しい」と分かっていても素直に受け止められない子でした…(^_^;)

そんな私が大人になり、親になり、子どもの心の成長に大きく関わる仕事をするようになり、『正しさ』について今思うことは、
『正しさがいつも必ずしも子どものためになるわけではない』ということです。
子どものためにと「正しい」アドバイスをしてしまうことで、子どもが自分で経験する機会を奪ってしまう。
それは子どもたちの学びにとって、実はとても残念なことなのだと知りました。

 

先日、【ハイテックハイ】というサンディエゴにある高校のドキュメンタリー映画を見ました。
この学校はとてもユニークで、独自の課題解決型学習が行われている学校で、世界中の教育従事者が見学に訪れている学校です。
ここでは先生が教壇に立ち、子どもは机に座って一方的に聴くという授業はありません。
定期的な試験もない代わりに展示会があり、クラスやチームで独自のテーマを決めて、演劇や作品を仕上げて発表します。
先生も生徒も学び成長できる環境であり、先生は教えるためにいるのではなく、子どもたちからも学び、お互いに自主的な学び合いをしている学校です。

映画の中で、ある生徒が悩んでいました。
少人数のチームで、文明をテーマに木製の巨大なからくり仕掛けの動く装置を作る計画を立て、展示会に間に合うように毎晩遅くまで作業していました。
彼はそのチームのリーダーのような存在で、誰も思いつかないようなことを頭の中でどんどん描きます。
思いつくアイディア全てを実現させたくて、でも時間も技術も経験もまだまだ足りない。
そんな中で、仲間の助言や意見を上手に聴くことができず、焦っていました。

そんな姿を見守る先生は、教室の外から彼をそっと眺めながら言いました。
「入っていって直してやりたい。彼が次々と失敗していく姿をただ見ているのはつらい。」
でも、先生は彼自身の学びのために彼を信じ、あえて失敗を経験させることを見守り、助言をしませんでした。

結果、彼のチームは、展示会には完成した作品を見せることができませんでした。

肩を落とす彼らに、先生たちはそれこそが大事な経験だったと言います。
「私達はみんな、失敗から学ぶんです。そう言い切っていい。」

頑張ったのに展示会で作品を見せられなかった。
だから生徒たちは自問することになります。
「どうしてこうなったんだろう」
彼にとっては、自分自身を批判的に見つめ直すチャンスになったでしょう。
無理矢理頑張って間に合っていたらそういうチャンスはなかった。
「君に欠けている能力はこれだよ」と先生がただ言っても、彼が内省する機会にはならなかったでしょう。
でも、努力が報われなかった時、「こうした方がいいよ」という意見に対して彼は以前より耳を傾けるようになりました。

「僕はメカニズムの責任者としてグループの仲間をちょっと傷つけてしまったかもしれない。僕がみんなの意見を聞かなかったから。」

という彼に、先生は言います。

「君の特別な能力の一つは、ビジョナリーだってことだ。
君にそれを失ってほしくない。それは私たちの目標じゃない。
君が君でなくなったら、意味がないんだ。」

*******

親の気持ちとしては、子どもが失敗をしない、傷つかない道のりの方がよいと感じるのは当然のことだと思います。
子どもの未熟な選択に、もどかしさを感じることもあるでしょう。

ですが大切な姿勢は、子どもが自分で選んで、楽しんだり苦労したりしながら、【親以外の人や出来事から学んでいくこと】の大切さを親が尊重すること。
これは、【子ども自身の経験へのリスペクトをしっかり持つこと】だと思います。
これには親として子どもが傷つく姿を見守る勇気が必要だと思います。
そして、その経験こそが子どもを成長させるということを信じ、親は子どもの力を信じることがとても大切だと思います。

フルマンの論文には、親が手を回したり導いたりしなくても、むしろそうしないほうが、子どもはしっかりと自立していくということが説かれています。
離乳食に興味を持たせようとしなくても、子どもは自分の好奇心でいろいろな食べ物に引きつけられるようになります。
むしろ母親のほうが、ママのおっぱいが一番だったわが子が成長していくことに、さみしさを覚えますよね・・・。
でも、本当に子どもの力を信じて見守っていたら、子どもは自然と自立し、いつまでも親に頼りたいとは思わないのだそうです。
自分なりのタイミングで、自分なりのスタイルで、親から巣立っていきます。

親としても先生としても常に思うことですが、私たちの役割は、子どもたちが手を離れていくことを見送ることだと思います。
いつまでもここにいることを願わないこと。
自分がいなくても、ちゃんとやっていけるように、手を離していくこと。
ちょっぴりさみしいですが。

その時に親がすべきことは「去られるためにそこにいること」なのだそうです。
巣立ちの始まりは、不安も大きいでしょう。
困難に出会ったり孤独を感じたとき、振り返れば自分を見守っている親の姿があることは、大切な心の支えになります。
「そこにいる」というのは、子どもの選択をただ見守り、必要なときにはいつでも安全な場所に戻れることを示すということでしょう。

「ただそこにいる」ことは「何かをする」ことよりも、ずっと難しいことですね。

子ども自身の学びと支えのために、私はいつでも、ここにいようと思います。


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